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鎖国から、開国へ。和船から、洋船へ。貨物の輸送需要が強く見込まれた時代に、乾汽船の創業者、乾新兵衛は、海運業へと乗り出します。わが国近代海運業発祥の地神戸で、後に「神戸海運5人衆」として、つとにその名を馳せ、乾汽船の基礎を築きます。
わが国海運業の歴史は、江戸時代にまで遡ります。この頃は和製で木造、帆と人力で動くいわゆる「和船」の時代であり、この「和船」による内航航路が廻船として発達した時代でした。大阪と江戸を結んだ菱垣廻船、なかでも主に酒荷を専門に輸送する樽廻船、日本海・瀬戸内海経由で、北海道と日本海側の港と大阪を結んだ北前船などが、その代表です。
1854年にペリーの黒船が来襲。黒船「サスケハナ号」の排水トン数は3,824トン。当時の和船が200トン程度であり、しかも水蒸気機関を動力とするこの巨大船に圧倒されました。これがきっかけとなり、日本は洋船の必要性を痛感し、三菱グループ、日本郵船の源流となる九十九商会が岩崎弥太郎らによって創業、1875年、日本初の外国定期航路である横浜・上海航路が開設され、日本の海運は近代化の道を歩み始めます。
1862年神戸で生まれた乾新兵衛は、家業である酒造業を営みながら、かねてより興味のあった海運業へと、その身を投じます。1904年イギリスから中古船を購入し、事業成功への期待を込めて自家醸造酒の銘柄「乾坤」から「乾坤丸」と命名しています。また日露戦争により海運需要はますますその高まりを予感させる時代でもありました。当時の神戸は、近代海運発祥の地として居留外国人もたいへん多く、日本で初めてのゴルフ場や競馬場、アスレチッククラブといった外国の影響を色濃く受ける先進的な文化風土があり、貿易もきわめて盛んでした。その波に乗り乾新兵衛は、海運業を軌道に乗せ、家業の酒造業の収益も寄与し大きな財産をつくります。内田信也(明治海運創業)、勝田銀次郎(勝田汽船創業)、山下亀三郎(山下汽船創業)、岡崎藤吉(神戸岡崎銀行創業)らとともに「神戸海運5人衆」といわれるほど、その名を轟かせています。
大日本資産家一覧表
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●神戸海運五人衆
内田信也
勝田銀次郎
山下亀三郎
乾 新兵衛
岡崎藤吉
- 近代海運業の幕開け ~ 乾汽船創業
- 第二次世界大戦 ~ 海運集約
- 海運業のリストラ ~ 阪神大震災
- 本社移転 ~ 現在の乾汽船






















